●2011年6月29日一般質問全文 (ワードデータで読みたい方はこちらより右クリックでダウンロードしてください。

「想定外」を想定した本当の安全・安心を目指して

平成23年 第2回定例会 豊島刷新の会 古坊知生

 豊島刷新の会 古坊知生でございます。私は「『想定外』を想定した本当の安全・安心を目指して」と題しまして、一般質問をいたします。理事者の皆様の積極的な答弁を期待します。
 さて、先般の区議会議員選挙において私は、街づくりはもちろんのこと、持論であります議会改革・教育改革を訴え2期目の当選を果たすことができました。無所属議員ではありますが、いただいた一票一票の重みを自覚しながら、今後も初心を貫き、地に足をつけてしっかり活動して参る所存でございます。
 本題に入ります。3月11日に東日本大震災という未曾有の大災害が起こりました。不幸にして亡くなられた方々に心からお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。また、一日も早い復旧・復興を心からお祈り申し上げます。この大震災以降、日本人の考え方が大きく変わりました。「助け合おう、支え合おう、一つになろう、がんばろう日本」と、いろいろなスローガンが掲げられ、われわれ日本人の心の中に常に被災された方々が存在しています。安全と言われていた原子力発電所においても世界を震撼させる大事故を起こしてしまい、10メートルの高さの津波の防波堤が簡単に壊されていく有様を見て、既成の価値観を超えた、まさしく想定外のことが起こったと一言で済ますことに全国民が違和感を覚えています。   
 今一度区政においても、新たな視点、即ち想定外を想定するという観点からの再点検が必要です。それがまさしく、本当の防災であり、安全・安心の構築につながると私は思います。
 3月11日、大震災が起きた時、ちょうど私たちは予算委員会の意見開陳をしている最中でした。尋常でない揺れを体験し、かつ震源地が遠く離れた東北地域だと聞いた時にこれは物凄いことが起こったと誰もが直感的に感じたはずです。幸い、豊島区においては一部で事故が発生したものの、死亡事故が起こるほどの大きな被害までには至らず胸を撫で下ろしましたが、高層階の方々の中には、大きく、長い揺れに恐怖を感じ、棚から物が落ちてきて危なかったという方もいらっしゃって、震度5の世界の恐怖をまざまざと見せつけられた大地震でした。
 今回の大震災を良き教訓として生かしていかなければなりません。まず、豊島区においては、今回の大震災時の区の対応をどのように総括し、今後新しい地域防災計画にどのように反映していくつもりなのでしょうか。
 大震災が起こった時間が午後2時46分ということもあり、小中学校や幼稚園・保育園の児童・生徒・幼児の下校や退園あるいは預かりの対応が場所によって異なってしまった現実もあります。誰かが悪いとか、責任は誰にあると糾弾しようとしているわけではありません。今回の経験を生かして、保護者自体が帰宅困難者になることを想定し、幼児はもちろんのこと、下校時に災害が発生した場合に低学年と高学年の子供の預かりについてどうすべきかということを保護者と一緒になって考え、マニュアルを作っておくべきだと思います。また、緊急時に各学校と教育委員会が連絡を取れるシステムを構築すべきです。学校から教育委員会に連絡を取って指示を仰ごうとしたが、電話がつながらず対応に困ってしまったという声も聞かれます。そのようなことを今後しっかりと検討すべきと考えますが区の見解をお聞かせ下さい。
 帰宅困難者の問題も今回体験をして分かったことですが、池袋駅を中心とした大規模な防災訓練は日頃から行われているだけあって、ある程度の対応ができており、訓練の成果が一部見られたと思いましたが、昨日の区長答弁を聞き、現場での区長自らの陣頭指揮もあったことが分かり、感銘を受けまた、認識を新たにしたところです。私の地元の大塚駅にも大勢の帰宅困難者が集まり、大変な状況でした。地元の、あるレストランのオーナーが400杯のスープを自前で作って駅で配っていたという美談は、先般紹介をさせていただきましたが、驚いたことにそんな混乱のさなか、JR東日本はシャッターを下ろし、南北自由通路はテープが張られて進入禁止となっていました。南大塚ネットワークの有志の交渉によって自由通路進入禁止は解除され、電車の運行状況を知らせるためにラジオ放送を流したり、24時間営業の店舗にトイレの使用許可を依頼したりと困っている方々に対して支援の手を差し伸べていたにもかかわらず、自分たちは電車を動かせないから、用のない民間人は駅から出て行ってくれと言わんばかりの態度に、もし雨でも降っていたら帰宅困難者の方々がどんなに大変だっただろうかと思うとその対応が本当に残念でした。私は以前一般質問で池袋駅だけでなく、山手線のほかの駅においても、災害を想定した訓練をしておくべきだと主張し、区のほうも検討すると答えていました。しかしそれは結局未だ実現されていません。訓練をしておけば、JR側も地域の立場に立って対応してくれていたのではないかと想像します。もちろん本社の意向が大きく反映されるのでしょうが・・・。今後は大災害が起こることを前提として早急に大規模訓練を各駅においても行うべきだと考えますがいかがでしょうか。区の考えをお聞かせください。
 次にこの大震災を受けて、日本人の住居に対する考え方が大きく変わっています。すなわち、以前は素晴らしい眺めを独り占めできるマンションの高層階に住むことが一つの憧れだったと思いますが、耐震構造をしているから地震が来ても大丈夫だと理論ではわかっていても、激しく長い揺れを感じ、地震酔いという新語ができるくらい安心して眠れない状況がありますし、エレベーターが停止してしまったならば、高層階までどうやって上ったり下ったりするのかと考える中に、最近の不動産市況は高層階の住居を求める人が激減しているようです。不動産経済研究所が5月18日に出した数値によると、4月の首都圏の新規マンション発売戸数は前年同月比27.3%減、20階建て以上の超高層マンションの発売戸数は前年同月比83%減となっています。マンション大手が4月上旬まで営業を自粛したことを考えても、その激減の度合いは大きな懸念材料です。区議会においては昨年の第四回定例会において、庁舎の移転条例案を特別議決で可決しましたが、このような状況でこの高層住宅を買う人が本当にいるのだろうか、この計画自体が成り立っていくのかどうか、大変心配なところです。区はどのようにお考えなのでしょうか。納得のいく説明をしてもらいたいと思います。
 また、大震災当時は自粛という雰囲気が日本全国を覆い、豊島区においても様々な行事が中止となりました。また消費者の購買意欲も消失してしまう中で今年度の税収は落ち込むことが予想され、震災対応・安全安心のための対応というニーズは増えるばかり。豊島区の収支のバランスが再び崩れてしまうのではないかと心配ですが、豊島区はそのような財政の現状と今後の展開をどのように考えているのでしょうか。今後ますます増えるであろう災害対応の備え、そしていざという時にすぐ使えるという意味で、災害対策という目的を持った基金を創設してはどうでしょうか。東京23区の中でも既に9区が基金を作っているそうですが、区のお考えをお聞かせ下さい。
 また一時期、計画停電が実行されていた時に、豊島区は対象外となっていましたが、もし計画停電が実施されたら、自家発電機能を持ち合わせていないという豊島区のウィークポイントを高野区長自ら認めた発言が震災直後にありました。計画停電はこの夏は実施されない予定ですが、万が一電力の需要量が供給量を超えてしまい、全地域で停電になるという不測の事態も考えられますし、今後30年間に70パーセントの確率で首都圏直下型大地震が起こるという学説を真剣に考えた時にその日が今日・明日にならないとも限りません。福島原発の問題は数百年に一度しか起こらない大津波による被害と万全な安全対策にかかる高コストを比較検討した時に、コストダウンのほうを選択し、安全対策を怠ったことによって生じた、いわゆる人災であるということがわかってきた昨今にありまして、万が一に備えることの重要さを改めて勉強した私たちであります。新庁舎建設までの期間、万が一の場合の庁舎の自家発電機能はどのように確保するのでしょうか。想定されることを早め早めに対応すべきと考えますがいかがでしょうか。
 また、本庁舎は免震工事を行っていたので、今回の震度5弱には耐えられましたが、分庁舎においてはひどい有様で教育委員会や都市整備部の多くの機能が近隣に移転を余儀なくされました。分庁舎といえども庁舎であるわけですが、本庁舎の免震工事を行った際にどうして一緒にやらなかったのか素朴に疑問です。もちろん財政面の理由だったのでしょうが、安全・安心という言葉はいのちを守るということですから、何にも優先されるはずであります。であるにもかかわらず、本庁舎と分庁舎での震災対応に差があったということは分庁舎で業務を営む職員はもちろんのこと、そこを訪れる区民の生命を軽んじていたと言われても仕方のないことではないでしょうか。今回の大震災において起こったことをあらゆる角度から総括し、十分に反省し、それを将来にしっかり生かしていかなければなりません。何度も言いますが、想定外を想定した本当の安全・安心をこの豊島区にもたらすために、区長を始め理事者の皆さん、そして我々議会も叡智を結集して考えていかなければと決意を新たにしているところです。庁舎の免震工事の過去における検討の経緯をご説明ください。
 最後にその他として、災害派遣等従事車両証明書について質問します。先日、私を始めとした豊島刷新の会のメンバー4名で宮城県の多賀城市を訪れボランティア活動をして参りました。津波の被害にあった家の倉庫にある家財道具を一つ一つ取り出す作業でしたが、個人にとっては思いで深い品物もいったん水と泥につかってしまっては捨てるしかなく、被災された方にかけてあげる言葉も見つからない辛い状況でしたが、一国民として今後も機会あるごとにボランティア活動を続けていきたいと感じました。訪問の際、防災課に車両証明書を発行してもらい、高速料金も無料となる中で浮いた分を現地で食事をして地元にお金を落としてきました。被災者の方々のためにボランティア活動をこれからしたい、あるいはもう一度行きたいと思っても、そのような目的であるならば高速道路料金が免除されるということを知らない方がかなり多いのではないでしょうか。広報の在り方を考えてもらって、多くの方々が被災地において具体的な支援を行いやすくしてあげることが、比較的体力のある地方自治体としても重要なことだと思います。ご検討をお願いします。
以上で私の一般質問を終了いたします。ご清聴誠にありがとうございました。